寂しい季節がやってまいりました。
毎年放送されている「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達2017」が12月30日の夜10時から、TBS系列で放送されます。
番宣や番組ホームページなどでは選手名が記載されていないため、気になっている方も多いのではないでしょうか?
番組ホームページで取材対象となっている選手を調べましたので、紹介致します。
※去就についてはネタバレとなってしまうため、記載しておりません。 → 放送終了後、去就を追記致しました。
目次
2017年の「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」で取材を受けた選手(出演者)
”松坂世代No.1捕手”は元巨人「實松 一成」選手
■松坂世代No.1捕手が36歳で戦力外通告
俺はまだやれる…3人の子供たちに父の勇姿を見せる松坂世代No.1捕手として、夏の甲子園でも活躍し、日本代表としてプレーした男。
36歳となったベテランにも、非情な宣告が突き付けられた。
この男には、育ち盛りの3人の子どもたちと妻という、守るべき家族がいる。
6年生の長男は、パパの置かれている状況を幼いながらにも理解していた。
パパの言葉に思わず涙してしまう…。憧れのパパのユニホーム姿をもう一度見たい…
一家の夢を背負う男の運命は!?TBS-番組ホームページより引用
實松一成(さねまつ かずなり)選手は1998年のドラフトで日本ハムに1位指名を受けたキャッチャーです。
日本ハム時代は打率が1割台に低迷するものの、毎年ホームランを放つことから「一発屋のサネ」と呼ばれ、ネット界隈では人気の選手でした。
2003年には9安打で3本塁打、2004年には3安打で1本塁打を放っています。
しかし、日本ハム時代は若手で打撃も結果が出ていた高橋信二捕手や、ベテランで抜群の守備力を誇る中嶋聡捕手がいたため、出番に恵まれず。
2006年のシーズン開幕直前に巨人・岡島秀樹投手との1対2のトレードで古城茂幸選手と共に巨人へ移籍しました。
巨人では2012年の58試合出場が最多ですが、守備力を買われて阿部慎之助捕手のバックアップ要因として毎年一軍試合出場をしていました。
小林誠司捕手の入団後は、出番が一気に減少して今年の戦力外通告へと繋がりました。
その後、實松選手は古巣・日本ハムが選手兼任コーチとして声をかけ、入団しています。
”ビジネスホテル生活の30歳投手”は元楽天「片山博視」投手
高校時代、エースで4番を務めた男はドラフト1位でプロ入りした。
チームの勝利の方程式を担い、中継ぎとして活躍。
しかし、プロ9年目でひじを痛めてから、人生の歯車が狂い始める。
度重なる怪我…育成選手への降格…離婚…手術…。
さらに、昨年からは、ビジネスホテルで暮らす生活を送った。
そんな男に突き付けられた非情な宣告。
今年は、ひじの手術も成功し、リハビリを乗り越えて、来シーズンに期待する思いがあった。このままでは諦めきれない…。もう1度プロの世界へ戻るため、運命のトライアウトへ。
果たして結末は…。TBS-番組ホームページより引用
片山博視(かたやま ひろし)投手は報徳学園高校時代、甲子園に出場するなど投打に活躍。エースとして活躍する一方で高校通算36本塁打を放つ強打者でした。
2005年の高校生ドラフトで楽天イーグルスと広島カープが1位指名。抽選の結果、楽天が片山投手の指名に成功し入団します。
楽天としては初めてドラフト1位で指名した高校生であり、翌年には田中将大投手が1位指名で入団していましたね。
楽天では投手としてプレーし、2008年から2013年までは中継ぎ投手として一軍で活躍していました。
怪我をしてからは育成選手となり、2015年には野手転向を決意し実際に二軍戦には野手として出場し49試合、打率.238、1本塁打、11打点の成績を残しました。
野手転向により傷が癒え、2016年には投手へ再転向しますが2017年に再度故障をしてしまい戦力外通告となりました。
その後、片山投手は独立リーグであるBCリーグ、武蔵ヒートベアーズに選手兼任投手コーチとして入団しています。
”生後8か月の子供と妻を抱えた働き盛りの24歳”は元巨人「高橋洸」選手
高校時代、甲子園にも出場した男は、18歳で夢を叶えてプロの世界に飛び込んだ。
しかし、“ジャイアンツ”という巨大戦力の中での競争は厳しく、プロ5年目、24歳で戦力外を通告された。
妻とは昨年結婚したばかり。今年生まれた長男は、まだ8か月だった。愛する家族を守るため、プロ野球選手として復活したい。
家族が見守る中、現役続行へ望みをかけたトライアウトに挑む。TBS-番組ホームページより引用
高橋洸(たかはし こう)選手は巨人から2011年にドラフト5位で指名されました。
日本文理高校時代は1年春から控え投手としてベンチ入りし、甲子園に出場しました。
2009年、夏の甲子園決勝戦で堂林翔太選手が居た中京大中京戦で9回に驚異的な粘りを見せ「日本文理の夏はまだ終わらない!」という名実況が生まれたとき、高橋選手は日本文理のベンチに居ました。
2年生から野手に転向し、3年生時には甲子園にも出場。俊足を武器にする一方で高校通算15本塁打を記録した身体能力の高い選手です。
巨人入団後、一年目は怪我に苦しみ以降も左打ちへ転向、右打ちへ再転向…とプロの壁にぶち当たり一軍昇格すら果たすことができませんでした。
2014年からは育成選手登録となりましたが、結局支配下登録を勝ち取ることが出来ずに今年、戦力外通告となりました。
その後、高橋洸選手は株式会社深谷組に正社員として入社。プレーの場を社会人野球へと移しました。